尾瀬を歩く〜尾瀬の情報

 

尾瀬は本州最大の高層湿原

その魅力は、広大な自然のパノラマが与える感動の強さにつきる。一度訪れたら、たちまち、魅せられてしまう。

春(平地では初夏)の雪解けと水芭蕉の群生、初夏のニッコウキスゲの群生、真夏の深緑の木々に囲まれた瀑布、秋の山々を彩る紅葉と草紅葉・・・・快晴の青空の下、深い靄の中、小雨に煙る中・・・・いつの季節でも、どんな天気であっても、尾瀬は訪れる人々を魅了してやまない。

絢爛、雄大、豪快、神秘、優美、繊細、静謐、憂愁、・・・・どのような言葉を連ねても尾瀬の魅惑を一言で表すことはできない。

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データ

尾瀬ヶ原は標高1,400m・面積760ha、尾瀬沼は標高1,665m・面積160ha、日光国立公園の特別保護地区、および国の天然記念物に指定されている。
群馬県利根郡片品村、福島県南会津郡檜枝岐(ひのえまた)村、新潟県湯之谷村の3県の県境にまたがり、雄大で美しい自然が残っている。
総面積は8,690ha、その内国有林(林野庁)2,425ha、大蔵省(尾瀬沼)160ha、環境庁9ha、民有林(東京電力所有)が6,096haである。
各県の管轄領域は群馬県片品村6,198ha(71.3%)、福島県檜枝岐村2,126ha(24.5%)、新潟県湯之谷村365ha(4.2%)。

尾瀬歩きは大きく分けて、山ノ鼻〜尾瀬ヶ原、大江湿原〜尾瀬沼、三条のノ滝〜平滑ノ滝、あやめ平〜富士見峠の各コースがある。
尾瀬を囲む山々、至仏山(しぶつ)、燧ケ岳(ひうち)、会津駒ケ岳の登山も魅力がある。

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環境保護活動の歴史

四季折々にたとえようの無い美しい姿を見せ、何時、どのような天候下にあっても、訪れるすべて人々を魅了してやまない尾瀬。
尾瀬の自然に魅せられ、繰り返し訪れる人は多い。
訪れる人の増大に伴う自然環境の荒廃や幾度となく発案された開発計画から必死で尾瀬を護ったのが、長蔵小屋の家主である平野長蔵氏、長英氏、長靖氏である。
3代にわたり尾瀬の環境保護運動の核となって尾瀬の貴重な自然を守り抜こうとする3氏の努力無しには、尾瀬の美しい自然の姿を語ることはできない。

平野長蔵氏が、燧ケ岳に魅せられて初めて登ったのは、今から100年以上遡る明治22年(1889年)のこと。当時の尾瀬は、猟師がたまに訪れる未踏の自然が残されていた。
福島県側の尾瀬の出入り口・桧枝岐村に育った平野長蔵氏は、翌、明治23年(1890年)、桧枝岐の産土神として信仰される燧ケ岳への敬神の思いを込めて、燧ケ岳の裾地、尾瀬沼西岸の沼尻に行人小屋(修行者のための施設)を建て、ここを敬神愛国の活動拠点とした。
このことを以って、この年、明治23年(1890年)が尾瀬開山の年と言われている。

明治36年(1903年)、最初の水力発電ダム建設計画が発表された年、長蔵氏は沼尻に初めて山小屋を建て、長蔵小屋と命名した。
大正4年(1915年)、長蔵氏は尾瀬沼東岸の現在の場所(ビジターセンター所在地)に長蔵小屋を移し、大正11年(1922年)からは、妻子を伴って家族生活の拠点とした。
大正9年(1920年)、尾瀬沼一帯が風致保護林に指定される。

尾瀬沼東海岸の元長蔵小屋  尾瀬沼東海岸に現存する元長蔵小屋

外輪山に囲まれた尾瀬ヶ原を水瓶にする水力発電ダム建設計画は進んでいたが、長蔵氏はこの尾瀬ヶ原の自然を水没させてしまう計画に反対し、孤独の活動を開始した。
昭和5年(1930年)、尾瀬沼は禁漁区に指定される。同年、長蔵氏は死去。息子の長英が父親の遺志を継ぎ、尾瀬自然保護活動を続けた。

昭和9年(1934年)、全国11ヶ所の国立公園が誕生し、尾瀬は日光国立公園の一部に含められた。
昭和13年(1938年)、日光国立公園特別地域に指定され、開発計画は断念されたかのように思えた。ところが、
昭和19年(1944年)、尾瀬沼の取水工事が始まり、戦争の激化によって工事は中断したが、 昭和22年(1947年)、工事再開計画が浮上した。
長英氏は反対運動を展開。ジャーナリストや学者たちをはじめ大勢の支援があったものの、国を挙げて敗戦から再起しようとする戦後復興の勢いに押されて、開発反対運動は敗北し、取水工事が竣工された。

長英氏は、引き続き開発反対運動を続けるべく、ジャーナリスト、学者、文化人、登山家らが参画する尾瀬保存期成同盟を結成した。

昭和24年(1949年)、NHKラジオ歌謡で放送された「夏の思い出」が歌い継がれ、人々の心に「ミズバショウの尾瀬」のイメージが強く焼きついた。
昭和25年(1950年)、第1次尾瀬総合学術調査開始。(〜52年)
昭和26年(1951年)、尾瀬保存期成同盟を母体に日本自然保護協会が誕生し、自然環境保護活動が本格スタートした。

昭和27年(1952年)、尾瀬を訪れる人も増えてきて、山口営林署管内で大江湿原〜沼尻、下田代〜赤田代に木道が敷設された。
昭和28年(1953年)、日光国立公園特別保護地区に指定される。
昭和31年(1956年)、尾瀬ブームといわれるほどになって、多くのハイカーが訪れるようになった。当時は木道やトイレなどの自然環境を保護する設備がなく、また、今日のようなモラルやマナーが確立されていなかったこともあって、ハイカーは自由に湿原内を歩き回り、湿原は荒廃した。
昭和33年(1958年)、裸地が広がるのを防ぐために、歩く道を限定し、尾瀬林業(株)によって湿原保護のための木道設置が開始される。

昭和36年(1961年)頃には、現在の木道の原型ができた。尾瀬林業(株)は昭和26年に尾瀬地域の水源涵養林の管理育成と自然環境保全を目的に設立された東京電力のグループ会社で、環境緑化事業を推進している。

昭和35年(1960年)、尾瀬は特別天然記念物に指定される。
昭和38年(1963年)、戸倉〜鳩待峠間の自動車道が開通。
昭和41年(1966年)、荒廃がひどかったアヤメ平で、群馬県による湿原裸地化回復事業が始まる。
昭和44年(1969年)、尾瀬林業がアヤメ平湿原裸地化回復事業を開始。
昭和45年(1970年)、桧枝岐〜沼山峠間バス道が開通。

高度成長経済下の開発ブームに乗って発表された尾瀬の観光道路建設計画は、三平峠頂上付近まで車道を延ばそうとするものであった。長英氏の長男で長蔵小屋3代目の長靖氏が反対運動を展開、建設反対の署名集めや環境庁長官(大石武一氏)への直訴などに奔走した。

昭和47年(1972年)、群馬県尾瀬憲章制定、ゴミ持ち帰り運動開始。翌年、域内の全ゴミ箱が撤去され、今日に至っている。
昭和48年(1973年)8月、尾瀬の自然を守る会が発足、道路建設工事の中止が閣議決定された。
昭和49年(1974年)、鳩待峠と沼山峠のマイカー規制が始まった。
昭和52年(1977年)、第2次尾瀬総合学術調査開始(〜54年)。
昭和56年(1981年)、第1回尾瀬山開き開催。
平成6年(1994年)、第3次尾瀬総合学術調査開始
平成7年(1995年)、尾瀬保護財団設立

尾瀬の自然を護ろうとする人々の強い意志と、その意志を貫く懸命な努力の積み重ね、木道の整備、様々な規制、マナーの啓発、訪れる人々と自然の調和、環境保護シンポジウム、これら長期間わたる多くの人々の弛まぬ努力によって、一時荒廃の進んだ尾瀬は漸く自然の姿が復元されつつあり、今日、かろうじてその神秘的な美しさが維持されるようになった。

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尾瀬ヶ原

尾瀬ヶ原は標高1400m、南北2km、東西6km、面積7.6平方km。中心部は高層湿原で、ミズゴケ等が主体の酸性度の強い土壌である。
周囲を標高2000m級の山々で囲まれた大湿原で、昔は尾瀬沼のような湖であったと思われる。山から流れ込んだ土砂が堆積して水生植物のヨシ、スゲ、ミズゴケなどが育ち、それらが枯れて腐敗しないまま堆積すると、分解・炭化作用を経て泥炭層が形成される。この泥炭層が5000年から6000年もの歳月をかけて現在の大湿原に成長した。
現在、泥炭層の最も厚いところで4.5m、年間の成長は1mmに満たない。
湿原に踏みこんで地盤を5cm沈めたら「50年分の湿原を破壊した」ことになる。

尾瀬ヶ原には大小数多くの池塘(ちとう)があり、池塘のひとつひとつが周囲の山影を水面に映して、たとえようもなく美しい。
池塘は湿原の窪地などに水が溜まってできた池。深さが1.5m以上になると藻以外の植物は育たない。浸食により岸が分離して、池塘の中に浮島ができることもある。
池塘の底に堆積した泥などが厚くなると土地が湿原化して池塘が消失することもある。
春の雪解け時には、尾瀬ヶ原のあちらこちらで水芭蕉の群生が見られる。

尾瀬ヶ原の至仏山遠望 尾瀬ヶ原の燧ケ岳遠望

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尾瀬沼

尾瀬沼は、東北一の高山・燧ヶ岳の噴火によって沼尻川がせき止められて生まれた高山湖。周囲は約8km。面積1.7ku。標高1665mの高地にあり、尾瀬ヶ原より約200〜250m標高が高い。
尾瀬ヶ原の見晴(十字路)から燧ケ岳の山裾を巡って白砂峠を越えると尾瀬沼湖畔の沼尻平に達する。
沼と呼称されてはいるが展望の開けた湖で、歩き始めると、湖岸と対岸の景色がさまざまに変化する。
尾瀬沼ビジターセンター付近から望む尾瀬沼対岸の燧ケ岳は、湖面に落とす影とともに、四季折々に美しい姿を見せる。

尾瀬沼には沼山峠から入山するのが一般的コース。沼山峠から木々の中を進んでいくと、沼山峠展望台で突然に視界が広がり、大江湿原と遠くにつづく尾瀬沼、皿伏山のパノラマが目に飛び込んでくる。
初夏、尾瀬沼に至るまでの大江湿原の見渡す限りのニッコウキスゲの群生は圧巻である。
尾瀬沼ビジターセンターから三平峠下まで、湖畔のニッコウキスゲの群生越しに見る、尾瀬沼、対岸の燧ケ岳の遠望も美しい。

尾瀬沼湖畔 尾瀬沼ニッコウキスゲの花盛り

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マナー・注意事項(尾瀬沼、尾瀬ヶ原共通)

尾瀬は湿原、沼、山、川、湖、滝、花々、木々、小鳥の声など、バラエティに富んだ自然を楽しめる地である。
花の季節、紅葉の季節を中心にして年間50万人以上の人々が訪れる近頃、かけがえの無い自然を守るために1人ひとりの心構えが問われる。

尾瀬の自然は繊細で、一度壊れた自然が回復するには気の遠くなるような時間がかかる。
尾瀬の貴重な自然を守る為に、私たちが絶対に守らなければならない事項がある。
尾瀬を訪れたとき、この自然を護ってきた人々の努力に思い至れば、以下の事項は与えられた制約ではなく、自ら進んで実行しようという気持ちになる。

1.「尾瀬は標高が高い」「山道を歩く」という認識をしっかりと持つこと。

2.「尾瀬は天然記念物の指定地域である」という意識を常に持つこと。

3「尾瀬歩きのマナーを遵守する」

その他注意・留意事項

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尾瀬ハイキングに必要な装備

 5・6・10・11月

 7月〜9月初旬

 通年必要なもの

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尾瀬に咲く花

水芭蕉  5月中旬〜5月下旬  尾瀬沼・尾瀬ヶ原
ザゼンソウ  5月中旬〜6月中旬  六兵衛堀・東電尾瀬橋湿原
リュウキンカ  5月中旬〜6月中旬  尾瀬沼・尾瀬ヶ原
タテヤマリンドウ  5月下旬〜7月上旬  尾瀬沼・尾瀬ヶ原・アヤメ平
ヒメシャクナゲ  6月中旬〜7月下旬  尾瀬ヶ原
ハクサンチドリ  6月中旬〜7月下旬  尾瀬沼
カキツバタ  6月下旬〜7月上旬  尾瀬沼・尾瀬ヶ原
ツルコケモモ  6月下旬〜7月上旬  尾瀬ヶ原
チングルマ  6月下旬〜7月下旬  尾瀬ヶ原・至仏山・アヤメ平
ニッコウキスゲ  6月下旬〜7月中旬  尾瀬沼・尾瀬ケ原・アヤメ平
コマクサ  6月下旬〜7月中旬  燧ヶ岳
オゼコウホネ  6月上旬〜7月上旬   尾瀬ヶ原
オヤマリンドウ  8月中旬〜9月上旬  尾瀬沼周辺・沼山峠
オゼトリカブト  8月中旬〜9月下旬  尾瀬沼・尾瀬ヶ原
エゾリンドウ  8月中旬〜9月下旬  尾瀬ヶ原・鳩待峠〜山ノ鼻

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東京からの公共交通機関利用

直通バス

鳩待峠、大清水、富士見下の出入り

沼山峠・御池の出入り

いずれも便数が限られているので、予め時刻の確認が必要。

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マイカー利用

鳩待峠、大清水、富士見下出入り

戸倉・並木駐車場  250台収容  1.000円/日
戸倉・尾瀬戸倉スキー場駐車場  900台収容  1.000円/日(交通規制日のみ)
大清水・大清水駐車場  240台収容  500円/回
鳩待峠・鳩待峠駐車場  430収容  2.500円/日(交通規制日は利用できない)
富士見下・富士見下駐車場  60台収容  無料

沼山峠・御池出入り

御池・御池駐車場  440台収容  1.000円/回
七入・七入駐車場  800台収容  無料

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交通規制

福島県側

御池駐車場〜沼山峠口
指定車両、二輪車、及び20人以上の折り返し運行するバス以外の全ての車両(マイカー、二輪車、ハイヤー、タクシー)を通行止めとする

規制日についての問合せ先
尾瀬檜枝岐温泉観光案内所(0241)75-2432
福島県尾瀬自動車利用適正化連絡協議会(檜枝岐村役場総務課)(0241)75-2500

群馬県側

片品村・津奈木〜鳩待峠
規制期間:5月下旬〜10月中旬の指定日の規制初日午後7時〜最終日正午
マイカーと二輪車の規制。29人以下のマイクロバスのみ通行可
規制中の19:00〜05:00(夜間)は乗合タクシーも通行できない

規制日についての問合せ先
群馬県片品村尾瀬交通対策連絡協議会(片品村むらづくり観光課)(0278)58-2112
http://www.oze-fnd.or.jp/koutuutaisaku/2006hatomachitaisaku.htm

その他の規制区間

三平峠口は、大清水より先の通行禁止
富士見峠口は、富士見下より先の通行禁止

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尾瀬周辺の温泉

尾瀬からの帰路に、ちょっと温泉に立ち寄って一風呂浴びるのも結構なたのしみである

鳩待峠・大清水からの帰路
尾瀬戸倉温泉、尾瀬鎌田温泉、片品温泉、花咲温泉、吹割温泉、湯の小屋温泉、谷川温泉、老神温泉、水上温泉、上牧温泉、地蔵温泉、昭和温泉

沼山峠からの帰路
桧枝岐温泉、小豆温泉、木賊温泉、湯ノ花温泉、駒の湯温泉、銀山平温泉、薬師温泉、大湯温泉、青島温泉、たかつえ温泉、滝ノ原温泉

 

尾瀬に関する問い合わせ

財団法人尾瀬保護財団
371-8570 群馬県前橋市大手町1-1-1群馬県庁17階
TEL027-220-4431 FAX027-220-4421
http://www.oze-fnd.or.jp/

片品村観光協会尾瀬情報
TEL0278−58−2111 FAX0278−58−2110
http://www.oze-info.com/~info/oze/

尾瀬檜枝岐温泉観光案内協会
TEL0241−75−2432 FAX0241−75−2436
http://www.oze-info.jp/index.php

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尾瀬の山小屋

いずれも、4月末/5月上旬〜10月中/下旬の間のみ営業

鳩待峠

鳩待山荘  TEL0278-58-7311 (尾瀬林業戸倉案内所)  66名収容 8500円

山ノ鼻

至仏山荘  TEL0278-58-7311 (尾瀬林業戸倉案内所)  77名収容 8500円
山ノ鼻小屋  TEL0278-58-7411 (予約センター)  100名収容 8400円
尾瀬ロッジ  TEL0278-58-4158 (片品村事業課)  77名収容 8500円

中田代

竜宮小屋  TEL0278-58-7301 (戸倉連絡書)  80名収容 8500円

ヨシッポリ田代

東電小屋  TEL0278-58-7311 (尾瀬林業戸倉案内所)  90名収容 8500円

下田代十字路

弥四郎小屋  TEL0467-24-8040 027-221-4122 (前橋連絡所)  250名収容 8400円
尾瀬小屋  TEL090-8921-8342 (期間中)  200名収容 8500円
第二長蔵小屋  TEL0278-58-7100、7443 (予約センター)  98名収容 8000円
燧小屋  TEL090-1062-1395 0241-75−2038 2059(桧枝岐連絡所)  99名収容 8400円
原の小屋  TEL090-8921-8314 0241-75-2038(戸倉連絡所)  173名収容 8500円
桧枝岐小屋  TEL090-3405-6460 0278-58-7050(桧枝岐連絡所)  173名収容 8500円

赤田代

温泉小屋  TEL090-8921-8329 0241-75-2222  180名収容 8500円
元湯山荘  TEL0278-58-7311 (尾瀬林業戸倉案内所)  103名収容 8500円

渋沢温泉

渋沢温泉小屋  TEL0241-75-2105  90名収容 8500円

三平下

尾瀬沼山荘  TEL0278-58-7311 (尾瀬林業戸倉案内所)  50名収容 8500円

尾瀬沼東海岸

長蔵小屋  TEL0278-58-7100、7443 (予約センター)  268名収容 8000円
尾瀬沼ヒュッテ  TEL090-7064-4183 0241-75-2350(公共の山小屋係)  150名収容 8500円

御池

尾瀬御池ロッジ  TEL090-7064-4184 0241-75-2350(公共の山小屋係))  80名収容 10.000円

大清水

大清水小屋  TEL0278-58-7370  30名収容 6800円
物見小屋  TEL0278-58-7326  30名収容 6825円

檜枝岐村営国民宿舎

営業期間5月〜10月  電話市外局番(0241)
(尾瀬ヶ原)  季節公衆75−2253 FAX75−2260 オフ期75−2225
(十字路)  ЁAX75−2374 季節公衆75−2214
(三条の滝下流3.5km)  75−2105(4〜11月) 75−2360(11〜4月)
新館七入山荘(七入)  75−2434(4〜11月) 75−2360(11〜4月)


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